親にエンディングノートを書いてもらう
Intro
親の年齢に限らず、生きているうちにやってもらった方がいい、たった 1 つのこととして、エンディングノートの作成がある。
終活は、それをどのくらい準備しておくかで、本人以上に遺族の負担が格段に減るからだ。
エンディングノート
エンディングノートとは、自分が死ぬ前に残しておきたい情報やメッセージ、思い出をまとめておくノートを指す。
「これを老後の備えとして書いておきましょう」という形で、病院に案内が置いてあったり、書店で販売されていたりする。
弁護士や公証人の立会いなどはないため、いわゆる「遺言」とは違い法的な効力も保証はない、もっとカジュアルなものだ。
何を書くべきかについてのルールがあるわけでもない。
遺族側の視点で見ると、大きな目的は 2 つある。
- 何かあった時に「こうしてほしい」という意思があるなら、書いておいてもらえればできる範囲で尊重する
- 何かあった後に、遺族が困りそうな情報を書いておいてもらえると、非常に助かる
特に前者は、普段口にはしないが、「実はこうしてほしいと思っていた」というものが、本人の中ではあったりするものだ。
筆者の母親も「死んだ後のことはあなたたちに任せる」と言っているにも関わらず、墓の話になると「私のは海に撒いてほしい」とか、新宿を車で通るたびに「こういう都心のマンション墓地に入りたい。田舎の墓でひとりぼっちは嫌」など、言うことがコロコロ変わる。
遺族としては、「そういう意図がわかればできる限り尊重するが、わからなければ普通に先祖の墓に入ることになる」ということになる。したがって、希望があれば書いておいてほしい。
後者は、人が亡くなると、やらなければならないことが非常に多いという点だ。単に届けを出して相続をするといっても、例外処理が多数存在する。特に本人しかわからない情報が多数あると、その事実自体を知る由もないことがあるため、まとめておいてもらえると単純に助かるのだ。
また、そういう情報をまとめながら、緩やかに身辺を整理しておくことは、おそらく本人やその周りの人のためにもなる。
自作エンディングノート
実は、きっかけは「しくじり先生」である。
現在はフル版を見ることができないかもしれないが、梅宮アンナ/松本明子の相続回だった。
- 梅宮アンナ先生「相続でしくじらないための授業」|しくじり先生
- 松本明子先生「実家などの空き家問題でしくじらないための授業」|しくじり先生
残るものは違えど、長男である筆者は「これをいつか自分もやることになるのか」という面倒さを感じる程度には、思い当たる節が多くあった。
数年前、ちょうど父親が引退するタイミングだったので、どちらの回でも触れられていたエンディングノートをプレゼントし、書いてもらおうと考えた。
ところが、書店に行っていくつか見たところ、「思い出の写真」や「自分史」などにページが割かれたものが多いことに気づいた。終活を自発的に始める人を対象に、「自分を残したい」という側面が強く反映されていたように思う。
筆者からすれば、無駄なページばかりで、大事な記入欄の無いエンディングノートばかりだった。そこで、ネットで様々な事例、特に地方自治体がネットで配布しているものが多々あるため、それらを参考に「欲しい全項目を網羅する自作のエンディングノート」を作ることにした。
法的な効力
何度も言うが、エンディングノートは遺言ではない。
いわゆる資産の相続については、遺言のノウハウも多く、相談できる先も多くある。しかし、残された遺族が考えなければならないことは、資産の分割だけではない。
したがって、「残すような遺産も大して無い」や「我が家は揉めるような家族ではない」といった話とは関係なく、単純に「何の準備もなく死なれると、遺族は結構大変なんだ」という、残される側の本音もある。
このノートの目的は、相続ではなく、その死後の始末だ。両親当人のためというより、言ってしまえば筆者のためだ。もしこのノートを書いてくれれば、「本人が書いて印を押してくれている」という事実をもとに、自信を持って物事の判断を進めることができるため、それだけでも価値があると考えている。
項目ごとに少し補足する。
住民票や、過去に住んでいた場所の情報が必要な場合がある。自分が生まれて以降の引っ越しは把握しているが、梅宮家のように生前も含め引っ越しが多いと、情報を集めるのが大変なようだ。
弁護士に依頼したり、市役所を回れば情報を集めることができるだろうが、遺族が行うよりも、本人に聞いた方が早い。
年金は、そもそも本人がきちんと把握していない場合すらある。保険も、古くに加入したものがそのままになっていることもあるだろう。
本人にまとめてもらいながら、気になる点を洗い出し、生前に整理しておく意味でも、活用して欲しいところだ。
もちろん、本人の意向通りにすべてを実現できるかはわからないが、「施設には絶対入りたくない」や、「実は入りたい施設があってそのために貯金している」といった意図が、意外と本人の中にはあったりする。
長い老後をどう過ごすかについては、ある程度歳をとれば誰もが考えるだろうが、それがいつ発生するかまでは考えていない場合が多い。
「いつか家族に伝えよう」と思っているうちに、意思の確認が難しくなったりするので、あらかじめ意思を残しておいてもらいたい。
インフォームドコンセントが普通になった時代ではあるが、全てを知ること自体に耐えられるかどうかは人による。
そもそも「病気である」と言われた方が気持ちが楽になる人もいるが、言われてしまった方が余計に体調が悪くなるタイプもいる。病は気からというのは、本当に無視できない。
薄々気づいていながらも、「直視はせずに普通に過ごしたかった」という終わり方を選ぶのも本人の自由なはずで、その意思を尊重できるのも家族しかいない。それをするなら、家族はその「意思」を知っておく必要があるのである。なければ、現在だとおそらく、そのまま本人に宣告されると思う。
だから、「もし意思があって、尊重してほしいなら、書いておいてほしい」という項目である。
延命治療については、どうするかがかなり難しい。そもそも「したい」か「したくない」かも、人によって違う。するとしても、どの程度するのか、どの程度苦しむのか、様々なケースがあって、そういう判断も大体は家族がすることになる。
例えば、父が倒れてそうした状態になった際、一番心配なのはその判断を求められる母側だったりもする。もし一言でも、「したい」「したくない」という本人の意思が表明されていると、家族としては判断の負荷が大きく下がって、スムーズに治療が進められる。
また、「家族の判断に任せる」のであれば、それを書いておいてもらうことも結構重要だ。病院にそれを見せることができれば、病院としても本人の意思として判断を委ねてくれる場合があるからだ。その意思表示がなければ、家族ですら介入できず、苦しむ姿をずっと見続けるといったこともあるらしい。
免許には臓器提供の意思表示などがある。同じように、治療についてどうしたいのか、少しでも書き残しているだけで、だいぶ違うのだ。
そのあたりを調べていると「尊厳死の宣言書」というものを見つけたため、フォーマットをお借りして挟んでおいた。
自署と印があれば、効力も期待できるだろう。
葬式や戒名など、費用をかければかけるほど立派になるが、コロナ以降は家族葬なども普通になっている。
どのくらい盛大にやってほしいのかは、本人の価値観によって大きく変わるところだ。なんなら、盛大な葬式のために、特約の保険に加入して備えている人もいる。
墓も、難しい。
筆者の母親は、海を見るとよく「骨は海に撒いてほしい」などと言っているのだが、これがどのくらい本気なのかは正直よくわからない。
仮に本気だとしても、「生前母がそう言っていたので」というだけで、実際にそれが実現できるかもよくわからない。こういうことも、一言残っているだけで、それがエビデンスになって、本人の意思をきちんと尊重してあげられる可能性が、かなり高まるだろう。
他にも、「この墓に入りたい」や「この墓には入りたくない」といったこだわりは、実は結構な人が持っている。
筆者の母は、新宿の南口側を車で通る時に見える、マンション型墓地の広告を見るたびに、「田舎の墓地に入って滅多に来てもらえないくらいなら、ロッカーに入って頻繁に来てもらえる方がよい」などと言っている。どちらなのだろうか。
いわゆる檀家になって、墓地を持つことによる大変さもある。逆に、骨壺のまま立体駐車場のようなところに収められて、他のお骨と一緒に並べられるのは、絶対に嫌だと言う人もいるだろう。
こういうことは、言っておいてくれないとわからない。わからないと、尊重してあげることもできない。
筆者の母親は着物が趣味で、祖母から受け継いだものも含めてかなりの量があるのだが、この大量の着物をどうするのか、という話になる。
まず、資産価値によって相続の話になるだろうが、それが落ち着けば正直なところ処分に困るものでしかない。
本人は、「構わない、好きなように処分して」などと適当なことを言うが、箪笥三竿などのレベルだから、捨てるにしても簡単ではないし、適当な業者に依頼しても処分料が非常に高い。仮に売れそうなくらいの価値があるとしても、どこに持っていくと適切に処分してくれるかも、素人にはわからない。
母は着物仲間もいて、行きつけの着物専門の古着屋なども複数あって、店員も顔馴染みだから、むしろそういう人に話をつけておいて「私が死んだらこの着物は、この店に全部持っていって」や「この人が欲しいものだけ持っていってもらって、あとは粗大ゴミで」など、具体的に言ってもらった方が助かるわけだ。
そういう趣味のものが多い人は特に、「こうやって処分して」をエンディングノートに書いておくだけで、遺族は非常に助かる。
銀行口座や保険などは、死亡届を出すと、遺族の取り合いなどがなければ、ある程度は流れで進む。
しかし、最近は資産の形がいろいろあるので、全てを処理する手続きはおそらくかなり増えている。そして、取りこぼしがあると、その資産がずっと動かせなかったり、消えていったりすることもあるらしい。
そして、相続などに際し「いつまでに申請してください」といった期限が、割と短い期間で発生すると、仕事をしながら駆け回って手続きに回るのは、正直大変だ。弁護士などに頼めるのかもしれないが、費用もかなりかかるだろう。
どこに口座を持っているのか? どこの保険に入っているのか? どこの株を持っているのか? 借金やローンは残っているのか? iDeCo や NISA などはやっているのか? といったリストがあり「ここに資産があるぞ」とわかっていれば、あとは問い合わせれば何とかなる。
棚卸しも兼ねて整理し、リストにしておくだけで、だいぶ違うのだ。
知らない土地が出てきたり、完済していないローンが出てきたりすることがある。
そうならないと良いのだが。
相続の意図を表明する場合、エンディングノートは適さない。
しかし、いきなり遺言を作ろうとするより、一旦エンディングノートをまとめ、それが遺言作成のきっかけや補助線になればと思う。
弁護士などを通さなくとも、自筆で作成し、署名や捺印などの最低限のルールが満たされていれば、一定の効力は期待できる。
効力が焦点になるのは、大抵揉めるときだ。揉めそうであれば、やはりプロに任せるのが良いだろう。
この辺りは難しいが、筆者の両親に関してはそこまでデジタルに強くないので、数は大したことがない。
現状も、パスワード管理はノートベースなので、それがここに移るのであればそれで良い。
問題は、筆者のようにデジタル遺品が多い場合だ。それは別途考察する。
基本情報
年金・保険
介護について
余命宣告
延命治療
葬式/お墓
遺留品の処分
金融資産
不動産/ローン
相続
デジタル ID / サブスク
Outro
あまり長いと書いてもらえないだろうと思い、なんとか 20 ページに収めたエンディングノートを作った。
これを数年前に親に渡したが、「書いてくれた?」と聞くと「忙しいからまだ」と言われている。
引退して家にいる親に、仕事の合間を縫って手作りのノートを渡した筆者が「忙しいから」と言われた気持ちは、推して測ってほしい。
結構頑張った親孝行のつもりだったが、褒めてくれたのは今のところたまたま別件で話した FP だけだ。
読者の中でも、同じように両親の終活が気になる時期になったら、ぜひ活用してほしい。
残る問題は、自分の終活だ。