カンファレンス生態系の変化と CFP の功罪
Intro
コロナを経て、一旦はシュリンクしてしまったテック系のカンファレンスが、また徐々に増え始めた。
再開したというよりは、新しい主催、新しい名前で、全国で開催されている。
それ自体は歓迎されるべきことだ。筆者もよく参加したり、招待してもらったりしている。
ところが、カンファレンスの生態系は、コロナ以前とは変わりつつもある。
カンファレンスの勃興と勉強会の衰退
コロナの前は、まず勉強会があった。
同じテーマに人が集まり、同じテーマについて話す。
そこで徐々に コミュニティ が育ち、だんだんと規模を拡大し、集大成の 1 つとして カンファレンス を開催する、という流れが一般的だった。
カンファレンスには、コミュニティがメンバーに対して用意する「ハレの舞台」のような役割があったのだ。
といっても、「提供する」というニュアンスのものではない。普段の業務の傍ら諸々を手配し、なんとかスポンサーを集め、ギリギリ開催できるかどうか、を何年も歯を食いしばって続けるような状態だった。一緒にやって、なんとかできるか。それを一緒にやれるかどうか。
いつしか、カンファレンス自体にも価値が見出され、スポンサーは付きやすくなり、会場も借りやすくなり、チケットが多少高くても参加者も集まりやすくなった。
ところが、その蓄積は一旦コロナで途絶える。
コロナ後に新たに興るカンファレンスは、勉強会のようなバックグラウンドを持たずに、「初手で開催」されることも増えた。スポンサーは付くため、名前さえそれっぽければ、開催自体はできてしまうのだ。
初めての主催者が、初めてのスタッフと、新規のカンファレンスを開催する。もちろん登壇者も全て公募することになる。
コロナ前は、先に「コミュニティ」があったため、カンファレンスを開催する上では「コミュニティ」のメンバーが主体として登壇することが多かった。
もちろん全てではない。ゆるくトークを募集する枠をいくつか設けたり、終盤はもっと雑に参加できる LT 大会枠を用意したり、誰でも参加できる枠を用意していた。
一方、基調講演やオオトリなどは、特別なゲストが招致され「ここでしか聴けない話」が聴けることも多かった。このブッキングは完全に「主催の力量」によるところであり、そうした彩りがカンファレンスの特色として現れ、参加者が楽しみにするところでもあった。
コミュニティの新陳代謝
コミュニティにとって「新陳代謝」は常に付きまとう課題だ。
いつも同じようなメンバーが主催し、登壇し、参加しているだけだと、外からは出来上がった輪に見えてしまう。
出来上がった輪には入りにくい。
そのまま放置すれば、全く新陳代謝がなく、全員が歳を重ね、廃れていくだけだ。
そうした悪循環を防ぐためにも、勉強会でもカンファレンスでも、新しい参加者は歓迎され、入り口の 1 つとしてカンファレンスの登壇公募も機能していた。
ところがカンファレンスへの応募数は、しきい値を超えるようになった。定員は割れず、こちらから声をかけなくてもある程度集まるようになる。
すると、選考を通らないコミュニティからの登壇に対し、「不公平だ」「選考をすべき」といった声が上がるようになる。コロナ前も CFP を部分的に入れるカンファレンスはあったが、コロナ後は「CFP で募集しないのは不公平だ」という暗黙の声に主催が押され、「全て CFP で公募」のスタイルが増えた。
CFP の難しさ
「登壇」というライブなものを、「CFP」という文書だけで選ぶというのは、ボーカリストの募集を自己紹介だけで選ぶのに似て、本来的には非常に難しい。
どんなに良く書かれた CFP であっても、それが当日壇上でどう繰り広げられるかは、まったくわからないからだ。
選考も、「公平=ブラインド」を重視するため、顔どころか名前もわからず、過去にどんな登壇をしているのかの参考もなく、提出された文面だけでセッションを採択せざるを得ない。
逆を言えば、CFP のクオリティだけ高ければ、登壇経験があろうとなかろうと通る「CFP 大喜利」の世界になっている。(ちなみに筆者は CFP 大喜利が割と得意だ。出したものはだいたい全部通っている。)
「この人たちが選んでいるので、公平です」という名目で集められた選考委員も、何を基準に選んだら良いのか毎回頭を悩ませている。
「なんの発表」かは分かっても「どんな発表」かはわからない。その状態でセッションのクオリティを担保するのは、かなり難しい。
それ自体に問題があるかどうかは、観客の判断になる。
カンファレンスのクオリティ
既に「休みを潰して、高いチケットを買い、ちょっと不便な場所までせっかく移動して、並んでいい席を確保して聞いている客」で溢れた会場で、クオリティの低い登壇を聞くことになると、当然不満が溜まってしまう。
ここで言う「クオリティが低い」は、決して緊張して上手く話せないとか、たどたどしいとか、デモが失敗するとか、そういう話だけではない。
「そもそもこの人は本当に話したいことがあるんだろうか?」「根拠も検証もなく、単に思いついたことを大声で叫んで溜飲を下げたいだけなんじゃないか?」「大きなカンファレンスで登壇したという実績を解除するために、生成したものを読んでるだけなんじゃないか?」そう思ってしまうような登壇こそ、聴衆にフラストレーションを与える。
「自分も 1 個くらい大きめのカンファレンスで登壇したという実績を解除しよう」とでも思えば、CFP 大喜利を AI で通せるようになった今こそ、この問題は無視できなくなった。
そのセッションを目の当たりにした参加者の中で下がるのは、登壇者の評判以上に、カンファレンス自体の評判だ。ところが、今の CFP 運用で、これを未然に防ぐ手段はない。
CFP の運用課題
仮に、本当に話したいことがあり、自分の手で CFP を書くにしても、「提出から本番までが半年」とかのリードタイムになっている。
これは、募集と選考と採択と告知などを考えると、運用上縮めるのは難しい。来週だって同じことをやってるかわからないこの時代、半年後なんて世界が今のままあるのかもわからない。
何かのツールやフレームワーク、サービスに紐づいた話を考えれば、本番にはサ終してるかもしれない。今仕事で取り組んでいる事例の紹介も、その時点では会社にすらいないかもしれない。
普遍的なテーマに寄ると、「要はバランス」とか「結局は人」みたいな結論の話に寄りがちだ。
半年後に今と同じ熱量で話せる CFP を出すということ自体、難易度がかなり高くなっている。
そんな中、カンファレンスが乱立した結果、CFP の募集も乱立している。現時点でも、フロントエンドだけで並行して 3〜4 つくらいのカンファレンスが、CFP の募集をしている。
参加者だけではなく、登壇者も奪い合いになっているのだ。
そんなポテンシャルのある登壇が CFP 市場に溢れているとも思えず、実際は「こっちで出した CFP を、あっちにも出す」といった使い回しが増えている。
結果、CFP でのみ埋めたタイムテーブルは、「CFP を出すような人たちの、CFP が通りそうなネタ」と「CFP 大喜利が通ったが、クオリティが未知数なネタ」で埋まっていくことになる。
「ここでしか聴けないセッション」の行方
かつてカンファレンスのセッションは、主催から「出て欲しい」と依頼して集めることが多かった。特に基調講演はそうだ。
この人の話なら、きっと聴衆も満足して持って帰れるものがあるだろう。そういう、実績に頼ったブッキングもある。
そういう人たちは、普段から表で発表するような人ばかりではない。ましてや CFP を出すことなどないだろう。
そういう人を表に引きずり出し、その人が話すに値する場をアレンジし、聴衆が「ここでしか聴けない」セッションが聴けるかどうかは、完全に主催の力量次第だ。
そのトークを聴きたくて人が集まり、来場者の満足度が上がり、チケットがきちんと売れ、次のスポンサーキットに繋がり、カンファレンスの開催自体が安定していく。
その中で、公募した CFP や LT 大会で、登壇経験の少ない人のトークが、たまたまコミュニティの目に留まり、懇親会で発生し、そうやってコミュニティが成長していって初めて、セッションの顔ぶれが入れ替わっていく。
カンファレンスの価値は、セッションそのものではなく、そういった壇上を降りたところにあったように思う。
主催にそういう人をブッキングするツテが無かったり、そもそも「公平性のために」と CFP だけで集めるカンファレンスは、横並びでどんどん似たようなものになっていく。
行ってもオモシロイかわからないから、録画とスライドを見ればいい、で済むカンファレンスとみなされれば、チケットは売れず、ドタキャンもどんどん増え、徐々に開催自体が苦しくなる。
本業の傍ら歯を食いしばって開催している主催は、モチベーションを維持するのが難しくなるだろう。
そういうことが、既にもう起こり始めている。
初心者のチャンスは?
CFP の話になると、「じゃあ初心者はどこで練習したらいいんだ」「それだっていつも同じメンツじゃないか」「コミュニティは新しい人を受け入れるべきだ」などという話になる。
コミュニティにとっても新陳代謝は重要だ。新しい人が来なければどんどん廃れていくし、それを望むコミュニティは基本的にはない。みんな、新しい人を歓迎したいし、どんどん練習してほしいと思っている。
しかし、その場が「カンファレンスの一発本番」である必要は、双方にとって必ずしもないということだ。
小さい勉強会で 5 分の枠をもらい、そこで震えながらたどたどしく発表しても、誰もそれを否定したりはしないだろう。
そうやって、狭い会議室の数人の参加者を前に場数を踏みながら、登壇とは何かについて学んでからでも遅くはない。
- ケーブルを挿したらすぐに映るとは限らないから、事前に接続テストをした方が良いこと。
- デモはどうせうまくいかないから、必ず録画を用意しておいた方が良いこと。
- 自分が思った以上に緊張して、頭が真っ白になり、話したいことなんか全部忘れてしまうこと。
- 自分の話は面白いに違いないと意気揚々と喋って時間を大幅にオーバーする人がいると、主催や他の登壇者にとって非常に迷惑なこと。
- 自分がウケる!と思っていることはそんなに刺さらなかったり、そう思っていないことが評価されたりすること。
- 自分が喋っているこの 5 分間を用意するために、すべての人に結構な労力がかかっていること。
慣れている人にとって当たり前のことを学びながら、自分はどういう登壇ができるのか、向いているのか、何を練習すべきかを学ぶ。
そのステップを経ずに、AI で出した CFP 大喜利だけで通った数百人の前での 30 分のぶっつけ登壇が、観客・主催・本人の満足いくものにできる可能性は極めて低い。
問題は、カンファレンスのセッションが誰にでも開かれた CFP 公募であるかどうかではない。
登壇者が育つための場が失われたまま、カンファレンスだけがどんどん勃興していることの方にあるだろう。
全部が初心者の練習セッションになってしまえば、カンファレンス自体に人が集まらなくなる恐れもある。
そのカンファレンス自体に、ネガティブなイメージが付く可能性もある。
人が集まらなければ、赤字になる。スポンサーもつかないかもしれない。ストックのない団体は持ち出しになる。
その責任を取る準備までできた状態で、新しいカンファレンスが立ち上がっているとも思えない。
カンファレンス自体を健全に続けるためにも、登壇者のクオリティ自体は、ある程度担保する必要があるのだ。
本来、勉強会の存在は、そうした部分を全て担う、「コミュニティを育てる場」としての機能があったように思う。
勉強会のシュリンク
小さい勉強会の開催なんて、今どき流行らないだろう。
参加する側からしても、業後の貴重な時間を 10 数人の小さい勉強会に割いて、タイパなんかいいはずがない。
カンファレンスなら、休みでも業務になり、チケットも会社に申請できるかもしれない。まあまあ人もコンテンツもあり、参加のタイパはいいだろう。
これは主催側にも顕著で、人も集まらないし、場所も借りるのが難しいし、なにより自分も忙しい。そんな中、継続して勉強会を続けるのは、簡単ではない。
コロナ前は、その簡単ではないコミュニティの形成が、それでもやりたいと思う人たちによって運営され、それでも参加したい人たちによって形成されていた。
コミュニティの形成とは、実は驚くほど地味でタイパの悪いものだ。
登壇者も、参加者も、場合によっては主催自身も、その中で「ハレの場」だけに注目し、そこだけを楽しみたいというのは、コミュニティのメンバーというよりは、観光客の発想に近い。
日頃の業務と並行して、可処分時間を溶かし、特に収益もでない状態でなんとか開催しているイベントで、「金を払ってるのだからそれなりの対応をしろ」という、参加者の「お客様化」をきっかけとしたトラブルも後を絶たない。
協賛してくれる企業が出してくれたピザを、提供直前にズカズカ会場に現れ、食い荒らし、終わったら帰っていく人にも対応しないといけない。
懇親会で押しに弱そうな参加者にマルチまがいの行為をしたり、女性参加者にしつこくつきまとったり、受付で暴れてスタッフを恫喝するような参加者にも対応しないといけない。
コミュニティ主体で「みんなで作る」といった牧歌的な開催自体が、コロナ前からすでに崩れつつある。筆者が有料のイベントをやらないのも、懇親会をやらないのも、そういうコストをなるべく削っていかないと「続ける」ことができなくなるからだ。
筆者は、今年はカンファレンス開催を一旦控え、小さい勉強会の毎月開催を再開している。
- 1 月: \#tpac_study
- 2 月: Web 技術年末試験 2024
- 3 月: \#temporal_study
- 4 月: \#縦書き\_study
- 5 月: \#rich_text_editor_study
- 6 月: \#webfont_study
7 月は、初心者歓迎で LT だけをやる会にした。
- [初心者歓迎] \#雑 LT_study \- connpass
そこで飛び入りで「LT とは何か」という LT をした。
- LT とは何か | ドクセル
最近、こういうふうに LT ができる場がまた増え始めている。ここを、存分に踏み台にしてほしいと思う。
しばらくは、月 1 回の勉強会は続けたいし、半年に 1 回くらいは LT 会をしたいと思ってはいる。
これもいつまで続けられるかな、と毎回終わるたびに思う。
CFP を無くすべきか?
もちろん、カンファレンス側も CFP を無くす必要はない。
最初から「初心者歓迎 5 分 LT」などの枠を設け、不慣れな人が飛び込み、それをみんなで受け入れるような取り組みは、コロナ以前から行われてきた。
仮に 3 トラック並列のカンファレンスなら、1 トラック分だけ CFP に充てるといった采配は悪くはないだろう。
逆に、主催側も「セッションは全て CFP で公募し、それっぽい人を選考委員に立て、ブラインド選考しないといけない」などと思い込む必要もないはずだ。
もしあなたが「この人の話は面白い、きっとみんなが聞ければ盛り上がるはずだ」と思う人がいたら、その人を呼んできてセッションを依頼するのは、むしろやった方が良い。
それがあなたのカンファレンスの特色になり、参加者が「わざわざ休みの日に、チケットに金を払い、足を延ばして観に行く意味」に繋がる。
その会場で、CFP を通して初めて登壇する、まだ見ぬ「可能性」に偶然触れる可能性がある。
ここでしか聴けないようなセッションをブッキングし、まだ見ぬ才能も発掘し、参加者がそれらに偶然触れる可能性を演出するのも、「主催の力量」だと筆者は思う。
そのために、全てを「スライド発表会」セッションで埋める必要もない。自分がうまくセッティングできると思うなら、パネルディスカッションや LT 大会、OST や AMA など、色々なアレンジを加えていくことで「カンファレンスを作っていく」方が良いだろう。
それは実は「CFP で公募」だけでカンファレンスを作るよりは、非常に難しく、面倒で、大変だ。
「CFP じゃないのは不公平だ」とか「ブラインドで選考しないのは権威主義だ」といった外からの意見もあるだろう。それは、オーバーツーリズムのノイズだ。観光客は、そのカンファレンスの継続が難しい事態になっても、コミュニティが崩壊を迎えても、責任を取るわけではない。
コミュニティとしての主体性を持つ人が集まり、その中で納得の行く形を考え、続けられる範囲で続けていけば良い。
もっといえば、主催はもっとわがままになって、「自分だからできるカンファレンス」を求めて良いと思う。
それを経験しながらカンファレンスと主催自体も成長していくものなのだが、そのノウハウの継承がコロナで全て途絶えてしまったのが、今に繋がっていると思う。
地方カンファレンスの事情
もちろん、地方での開催なんかは事情がかなり違う。というか、東京が特殊なだけだ。
勉強会をしたくても、東京のように簡単には人が集まれない場所も多い。
それでも、その地域を盛り上げようと、なんとか開催している主催も多い。
みんなが車で 2 時間かけて集まるような勉強会をやっている人もいる。本当にすごいと思う。
東京での開催とは、全く違った苦労にまみれているだろう。
地方の場合は、どちらかというとカンファレンスのようなハレの場を設け、そこに一堂に会することで、コミュニティの形成をするモデルの方が合っているだろう。
お互いの存在自体を認知する場として重要であり、一度集まって体感することで、そこからのオンラインのやり取りもかなり弾む。
といっても、CFP も集まらず、声をかけるツテもなく、カンファレンスの枠を埋めるだけのセッションを集めること自体が難しい場合もある。
そういう場合は、通常セッションのために、東京からエンジニアを招致するといったことも行われる。
呼ばれた本人が乗り気なら、正直どんどんやるべきだと思う。そこでカンファレンスがブートストラップされ、コミュニティが育ち、徐々に他県に頼らない開催ができるようになっていくなら、全く問題ない。
「結局東京の人ばかりじゃないか」「観光したいだけの東京勢に食い物にされている」などと、どうせ来もしない人からのヤジはあるかもしれないが、表面だけを見たノイズを気にして良い方向にいくとは限らない。
呼ばれて都合が合えば行く、もちろん行けば観光もするが、行けばそれなりのトークはする。それがコミュニティにとって助けになるなら、旅費以外の見返りは求めない。そういうエンジニアは筆者の周りにはたくさんいる。
もし全くツテが無くて困っているなら、声をかけてくれれば紹介したりもできる。ぜひ声をかけて欲しい。
主催コミュニティとカンファレンス開催ノウハウ
カンファレンスには「100 人の壁」がある。
参加者が 100 人を超えると、企業の会議室を借りて開催するといった、省エネの主催が途端に難しくなるのだ。
そこで有料の会場を借りることになり、そのためにスポンサーから資金を集め、そのための法人を立てる。
資金があると、海外からもゲストが呼べるようになり、配信や通訳の需要も出てくる。
より資金が必要になるため、スポンサーキットのために「スポンサー枠」や「ブース」などを用意し、さらにスペースとスタッフが必要となる。
そうやって規模が大きくなっていく。
「コミュニティのコアメンバーが主催し、コミュニティのメンバーが参加する」というモデルではなく
「誰かが開催した興行と、そこに有料チケットを買って参加する客」のモデルへと距離が開いていってしまう。
考えることも多くなり、正常処理だけでも精一杯になる。しかし、処理できていない例外がたくさん残る。
「台風と興行中止保険」や「法人格と個人情報」など、知っていれば防げた様々なミスを踏んで、大きな打撃を受ける主催者もいるだろう。
コロナ後に自分が参加したカンファレンスをテンプレに、「カンファレンスはこうじゃなくちゃいけない」という価値観で固まってしまう人もいる。
逆に、コミュニティをもっと重視したいが、都内で勉強会をやるにしても、借りられる場所がなく、開催に困っている人もいる。
こういう人たちが集まって、ゆるくとも情報を交換し、互いに助け合うだけで話はだいぶ変わる。
そう思ってノウハウの共有を行うために始めたのが以下だ。
- 「カンファレンス開催ノウハウ」を公開します | blog.jxck.io
ここで筆者が本当に書きたかったのは「カンファレンスをどう開催するか」という話以前に、今回書いたような「コミュニティでカンファレンスをやるとはどういうことか」という部分であったりもする。
これもまた、コミュニティの 1 つの形だと思う。
Outro
最近は、カンファレンスの方が飽和し、また小さい勉強会が少しずつ戻り始めているようにも思う。
といっても、開催する側にも、参加する側にも、短期的にはタイパの悪い勉強会という存在が、どのくらいの強度をもって、今のテック界隈に残り続けられるかは、実のところよくわからない。
筆者は、コロナ前にコミュニティに育ててもらった最後の世代でもある。
恩返しとして、流行らない・古臭い・時代遅れな勉強会や、コミュニティを主体としたカンファレンスを、それでも今あえてやりたいというのであれば、できる協力は惜しまないつもりだ。